ぶどうの音色、ワインの調べ 第9話

2019 年 09 月 06 日ライター:Yasuyuki Ukita

 第9話 すべてはたった1種類のぶどうから

先日、都内某所でクロアチアのフヴァル島で造られるワインのセミナーを受講しました。赤・白・ロゼと5種類のワインを試飲しましたが、その品種はダルネクシャ、プラヴァツマリ、クッチュ‥‥お恥ずかしい話ですが、一つも聞いたことがありませんでした。

クロアチアの固有品種について語るイギリス人マスター・オブ・ワインのジョー・アハーンさん。

 

あなたはぶどう品種の名をいくつ挙げられますか? カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー、ピノ・ノワール、シラー、シャルドネ、ソーヴィニヨン・ブラン、リースリング‥‥。近頃話題の日本ワインで知られるようになった甲州やマスカット・ベーリーA‥‥。

アハーンさんがフヴァル島で手がけるワイン。

 

地球上には1万4000〜2万4000もの栽培品種があると言われています。途方もない数字ですね。ただ、この数字には、いわゆるシノニム(同じ品種が地方によって別の名前で呼ばれているもの)も含まれているようです。それらの重複を除いてもう少し現実的な数字を示すとしても、5000〜8000種類だそうです。これでもやはり手に負えませんね。

トルコのカッパドキアでのひとコマ。トルコは最も古いワイン産地の一つ。

 

しかし、それらのぶどうの大半が、もとを正せば、たった一つの種類から分化していったものだと知ったら、少し気分が違うのではないでしょうか? このおおもとのぶどうは「ヴィティス・ヴィニフェラ」という学名で呼ばれます。この言葉の意味するところは「ワイン用のぶどう」。

カッパドキアのぶどう畑。極めて原始的なブッシュ仕立てで栽培されている。

右はナリチェ種の白ワイン。左はカヴァクリデレ種の赤ワイン。いずれもトルコの固有品種。

 

ヴィティス・ヴィニフェラは「ヨーロッパ品種」とも言われます。これに対して、「アメリカ品種」と呼ばれるぶどうがあります。こちらの学名は「ヴィティス・ラブルスカ」。ラブルスカの語源について確実なものは分かりませんが、サンスクリット語で「つる植物」を意味する「リブージャ(libujā)」とする説が有力なようです。ヴィティス・ラブルスカにはコンコード、カトーバなどがあります。日本でもお馴染みのデラウェアは同品種の自然交雑種。これらは主にテーブルグレープとして栽培・消費されています。最近、日本の造り手の中にデラウェアで秀逸なワインを造る人が出てきていますが、それは世界的に見ると例外的な動きです。

ギリシャ、マケドニア地方のぶどう畑。

 

話を“ワイン用ぶどうの母”ヴィティス・ヴィニフェラに戻しましょう。この種のぶどうの原産地は西アジアの、黒海とカスピ海に囲まれたコーカサス地方だとされています。ジョージア(旧グルジア)をワイン発祥の地とする説が最も有力なようです。歴史上最初のワインが生まれた瞬間がいつだったのかを想像するのはとてもロマチックなことです。

マケドニア地方の収穫風景。20世紀初頭の写真と思われる。

 

旧石器時代、人間はある種の蔦植物の実が甘酸っぱくておいしいことを知り、これをぶどうと名付けます。ある年の秋、多くの実を付けたぶどうの木を見つけた人があり合わせの容れ物に摘み取った果実をどんどん入れていきます。家路を急ぐ間にいつくかのぶどうの実の皮が破れ、果肉から滴った果汁が容れ物の底に溜まります。家に戻って数日経つうちに果汁は発酵を始め、良い香りを放ったことでしょう‥‥。

人類がぶどうを栽培するようになったのは、およそ7000年前のことだったと考えられています。そこから、ぶどうとワインの世界への拡散が始まります。西のトルコ、南のイランにはすぐに伝わったでしょう。シリア、レバノンを経由してエジプトへ。ギリシャに伝わった頃には、拡散も勢いを増したはずです。僕はこの伝播のプロセスを、人類がアフリカ大陸で誕生し、遠くは南米大陸の南端まで達した過程になぞらえ、「ぶどうとワインのグレートジャーニー」と呼んでいます。それは、人間にとっては品種改良の道のりだったことでしょう。旅した先々の気候風土に適応し、味が良く、収量が多い品種を得るために、想像を絶するような数のトライ&エラーが繰り返されたことでしょう。一方ぶどうという植物にとっては、生育限界を少しずつ伸ばしていく旅路だったはずです。現在、栽培の北限(=寒冷限界。南半球では南限)は、フランスのシャンパーニュ地方やイギリス南部でしょうか。フィンランドにもわずかながらワインを造っている人がいるようです。

スペイン、カタルーニャ地方の高地に残る12世紀の石の発酵槽。「カステル・デンクス」のラウル・ボベ氏はこの槽での発酵を復活させ、同社のワインの一部に使っている。

 

この大いなる旅路の中で、我々が今日親しんでいるカベルネ・ソーヴィニヨンやメルロー、シャルドネといった品種が生まれてきた。そういうふうに見ると、目の前のグラスに入ったワインがさらに味わいを深めるかもしれません。

Photographs by Taisuke Yoshida , Yasuyuki Ukita

浮田泰幸(うきたやすゆき)
ワイン・ジャーナリスト、ライター。内外の産地・ワイナリー・生産者を取材し、雑誌やウェブサイトに記事を寄稿している。これまで訪問したワイナリーは600軒を超える。